ファッションビジネスについて書いているブログで、宮﨑あおいさんのコマーシャルで有名になった会社のキャンペーン事例が紹介されていた。検索率が挙ったのだそうで、作者の方はこれをAISASと結びつけて書いている。AISASは、もともと広告代理店が日本に広めた概念(これをAIDMAという)を発展させたものだ。もともとはアメリカ製のフレームワークなのだが、現代のアメリカ人のマーケターにAIDMAといっても通じない。もう使われていない概念なのだ。どこで読んだのか忘れてしまったのだが、大昔のセールスマンがセールスの実用書の中で紹介したフレームワークなのだという。代わりに多くのアメリカ人やヨーロッパ人が使うのは、コトラーのマーケティング。つまりポジショニングを中心としたフレームワークだ。AIDMAは昔のアメリカ人がセールス手法として使っていたフレームワークで、マーケティング手法ではない。またコトラーにも批判者がいる。セス・ゴーディンのバイラルマーケティングなどが記憶に新しい。偶然とネットワーク効果が爆発的な販促効果を生むという「手法」だ。
AIDMAがセールス手法だ。だから、それを発展させたAISASもマーケティング手法とは呼べないだろう。AISASという用語を聞くようになったのは、インターネットマーケティングが出始めた頃だ。多分「これはやばい」と感じた広告代理店のマーケターがテレビコマーシャルの方が検索エンジンより先ですよということを言いたかったのだろう。ある代理店が「Googleのトップページの枠をバルクで買うといくらなんだ」とか言わなかったとかいう話が伝わっている。つまりテレビ広告のビジネスモデルをそのままネットマーケティングに持ち込もうとしたわけだ。
少なくとも検索率が上がったということは、この宮崎あおいさんのコマーシャルは大成功だったといえるだろう。あのコマーシャルを見て、めざとく会社名を察知し、それをすかさず検索し、コンセプトを気に入り、服を買いに行ったという人がどれくらいいるかは疑問だ。ただ、一定の口コミ効果はあったみたいで、「宮﨑あおい」をGoogleで検索すると2番目に宮﨑あおいCMと表示される。「宮崎さんはかわい過ぎる」と評判になっており、このコマーシャルがファッションブランドのCMだと知った人は多いみたいだ。萌え好きの男子がお客さんになれないのはちょっと気の毒なところではあるが。
多分これを見て実際に購買に貢献した人がいるとすれば、既にこのブランドの服を買ったことがある人だろう。安い服だし、SPAブランドみたいにワイドショーで取り上げてもらえることも少なかったように思える。本当にこの服を選んで正解だったろうかと思っている購入者や、買いたいけど安すぎて不安だと思っていた人にとっては「宮﨑あおいさんも着ている」というのはかなりの安心材料になるだろうと思われる。現在は店頭で宮崎さんの顔と「あした、なに着て、生きていく?」というコピーの入ったポスターが貼られている。だからCMを見たショッピングモールのお客さんを呼び込むのにも一定の効果は果たしている。ウェブサイトも宮崎さんを押している。ブランドロゴの代わりに使っているわけだ。
「安い服でそこそこ生きて行くのだ」ではなく「エコで背伸びをしないライフスタイルを選択しているのだ」というメッセージが、比較的パッシブなライフスタイルの人たちを支援する仕組みになっている。価格を安くしたことを「ハッポープライス☆」と呼んでいるところにもそれが現れている。ターゲットが明確でしっかりポジショニングができているのだ。このメッセージは「もう高い服を着てキャリアを目指さなくてもいいや」ということでもあるのだが、ブランドがもたらす価値とポジションを明確するのは、教科書的なマーケティング手法なのだ。
だから、この成功はセールス手法の成功ということではなく、メッセージを統一したマーケティングの成功のようだ。AISASを提唱している広告代理店がマーケティングに踏み込めないのは当たり前のことだ。たいていの場合、彼らがやることは与えられた商品をいかに売るかということであって、どういう価値を作ろうかということではないからだ。マーケティングができるのは、製品やサービスを作っている企業だけなのだ。つまり、企業が(代理店の助けを得たのかもしれないが)主体的に活動して初めてなし得た成功ということが言えるだろう。
さて、ここまで考えて来て、「マーケティング」と「セールス」の違いを説明しようとして、明確には書けないことに気がついた。つまり私自身がよく分かっていないということなのだろう。マーケティングには、リサーチ、研究開発、コミュニケーションといった個々の活動がある。コトラーは、一にも二にもポジショニングだと言っている。どういう人に何をどんなポジショニングで売るかということを考えるのがマーケティングなわけだ。でもなんだか断片的な説明だ。日本語版Wikipediaを見てみると「日本では混同されることが多い」というなんだかよくわからない説明が書いてあるのみだ。
英語版には、プロダクション、プロダクト、セールス、マーケティングという4段階の図表がある。マーケティングの時代は1970年から始まったとされ、リサーチを通じて消費者の好み(taste)と要望(desier)を知り、製品を開発し、その商品が存在することを知らしめることだとしている。また、セールスは今ある商品の販促(Selling and Promoting)に特化することなのだそうだ。電通が出しているレポートには今でもSPという項目がある。店頭プロモーションなどのSP予算はマーケティング予算よりも不況に強いという。マーケティングは企業が余裕のある時に行なうことであり、本当に大切なのは日々の店頭での宣伝販促活動だと考えられているのかもしれない。日本はセールスオリエンッテッドだといわれることがある。
セールスは企業の活動の末端の顧客にいちばん近い部分に特化しているのに対して、マーケティングはセールスを含む一連の活動を包括的に指しているのだといえる。実際にセールス・マーケティング部に所属していても、製品開発に携わる機会のある人は多くないだろう。マーケティング部隊が考えるのは売れ残った在庫をどうさばくかということかもしれないし、外資系のマーケティング部の場合はそもそも開発のサイクルの中に組み込まれていないことがある。本社から支給されるプロダクトを売り込むだけが役割なのだ。できないことをあれこれ考えても仕方がないともいえる。
で、あればマーケティングとセールスの違いなんかを考察するのは無意味なのだろうか。
もう一度、この4段階の表に戻って考えてみよう。最初に起こったイノベーションはT型フォードに見られる製造工程の効率化だった。これをProductionの時代と呼ぶ。それがProduct Orientedに取って代わられる。これが成り立つのは「よい製品だと買ってくれるだろう」という期待が成り立つときだ。このあとに、良いものを作っても売り込まなければ買ってくれないだろうというSalesの時代が来る。最後に来るのが「そもそも企業がよいと思っても、本当に消費者がよいと思っているのかは分からない、だから消費者に聞いてみよう」とか「こちらがよいと思って作ったものをぶつけて反応を見てみよう」というMarketingの時代だ。
このことを考えると、我々の社会がいま抱えている「日本人はモノづくりが得意」というフレーズの怪しげな側面が見えてくる。マーケティングには一貫して連続的なコミュニケーションが必要(これを戦略と言ったりする)なのだ。しかし、複雑な活動は受け入れられず、セールス指向から脱却できなかった日本の企業が、そこよりもさらに一段下の「いいものを作ったんだから、言い値で買ってくれ」というところまで退化してしまったのではないかという仮説だ。
ここまで退化すると、ついには「いいもの」も怪しくなってくる。例えばテレビの場合、まず白黒がカラーになる。画質が向上し、その内どんどん薄くなった。ここまではまだ良かったのだが、ついに改良するところがなくなり、地上波デジタルのように国がかりで無理矢理に移行をすすめなければならないところまで来てしまった。さらには、エコ消費を税金で販促するところまで事態は悪化している。ついには需要すら作り出せなくなり、農業のように税金なしでは成り立たないところまでたどり着いてしまったということになる。どうしてなのかは分からないが、やはり産業としては衰退に向かっているのかもしれない。
製造過程、製品、セールス、マーケティングの梯子は、今我々がどこにいるのかを分析する最初の手がかりを与えてくれる。そして日本の企業の中にも当たり前にマーケティングができている会社はあるのだ。
さて、宮﨑あおいさんのコマーシャルのおかげで、あの会社はアパレルブランドだということがわかった。どうやらそのことに気がついたのは僕だけではなかったようだ。モールを歩いていると宮崎さんのポスターが貼ってある。コマーシャルを見て「服を買うために検索をした」人は多くないかもしれないが、CMとしての効果は絶大だった。これを見て店頭に入って行く人の中には、相当数のおばさんたちが含まれていた。多分、一般的にブランドをあまり知らない人たちを引きつけるようになるだろう。テレビを見ている年配者が入って来て、店内が郊外のユニクロみたいになったとき、本来メインターゲットになるべき人たちが離れてゆかなければいいのになと思ったりもした。テレビコマーシャルはネットと違ってターゲットを厳密に選べないのだ。