交換がうまく行かなくなると社会は停滞する。アイディアは血液のようなものだから、停滞は冷え性のようなちょっとした不調を生じるだろう。この状態で、アイディアを盗まれたくない、今後どうなるか分からないという不安な気持ちに苛まれると、病状は悪化するだろう。
昨日のエントリでは、アイディアや人を内部に貯め込む「ゴミ屋敷」のような状態を考察した。貯まったものを整理するのがゴミ屋敷から抜け出す第一歩だ。要らないものを手放して、必要なものを貰う。このように、お互いにアイディアを交換すればよいのではないだろうか。それではアイディアを交換するにはどうすればいいのか。
組織を越えてイノベーションを促進するオープンイノベーション
これを具体的に提唱しているのがオープンイノベーション 組織を越えたネットワークが成長を加速する全ての研究開発を自前で行なうことを「クローズドイノベーション」と呼ぶ。しかし、労働力の流動化、ベンチャーキャピタルの機能強化、商品ライフサイクルの短命化などが要因になり、自社で研究開発プロセス全体を抱え込む事ができなくなってくる。代わりに自社で開発した技術をライセンス供与したり、時にはフリーで解放することによって、研究を加速させる事例が出始める。それを集めて理論化したのが「オープンイノベーション」である。
まず自社イノベーションと協業を分類する
オープンイノベーションでは、まずイノベーションプロセスを「自社で進めるもの」、「パートナーと強力して推進するもの」、「ライセンスしたり、開発者を独立させたりして他社に開発を任せる」ものに仕分けする。本ではIBMが皮切りのように扱われているのだが、IT産業では一般的な手法だ。例えばAppleはiPadのアプリケーションをサードパーティーに開発させている。これもオープンイノベーションの一種だ。Appleはプラットフォームを作る。このプラットフォームは「機器」「ビジネススキーム(平たく言うとお金を集めるスキーム)」「OSなどのソフトウェアプラットフォーム」「開発環境(これは自社製最新型のパーソナルPCを使う)」から構成される。サードパーティは自社や個人でプログラムを開発し、Appleに申請する。
この仕組みのメリットは、開発者の方がAppleよりもマーケットに近く、需要を早く汲み取れることだ。プラットフォームをデザインして「顧客」と「サプライヤ(プログラム開発者)」を統合する。
オープンといっても、全てを解放するわけではない
オープンにするというと全てを解放するように聞こえる。しかし、Appleは全てを解放したわけではない。例えばOSは解放されていないし、ハードウェアもApple以外は作れない。この協業が成功するまでAppleは何回か失敗を経験している。例えば1994年にはモトローラとIBMにハードウェアをライセンスして互換機をつくろうと試みた。アップルは、「基盤になるハードウェア」(場)、そこで動くコード(約束事の束)、コンテンツの内、コンテンツだけを解放している。(このレイヤ構造は、レッシグのコモンズコミュニティの背曲的な貢献に期待するオープンソース
オープンソースはもっと極端な開発手法だ。例えば世界中で最も使われているウェブサーバーのApacheもその一つ。もともとNCSAでつくられていたウェブサーバープログラムが母体になっているそうだが、後にユーザーに解放され、有志(後に財団をつくる)が改良を加えて、現在の形になった。オープンソースの場合、開発の成果物であるソースコードそのものを一般に公開することが義務づけられていることが多い。これはコピーレフトと呼ばれ、Wikipediaの定義によると著作権を保持したまま、二次的著作物も含めて、すべての者が著作物を利用・再配布・改変できなければならないという考え方だ。著作権を解放してしまうと、オープンソースソフトウェアを使って、クローズの製品を作る企業が出現する可能性を排除できないからである。一般的に、自由競争市場が活発に機能するのは、参加者が「でき上がったものを自分のものにできる」というインセンティブが働くからだと考えられている。初期投資である開発費はその後どれくらいの利益を絞ることができるかによって正当化される。しかし産業が成長すると、開発費は膨大になり、全てを自前であつらえることができなくなってくる。アップルは多様なユーザーを満足させるソフトウェアを自前で全て準備する事はできない。
またApacheのようなソフトウェアがなければ、各会社がばらばらなウェブサーバーをつくるか、誰かから買い求めるしかなかっただろう。ウェブサイト制作会社はコンテンツだけをつくるわけにはいかなくなるのだ。もしフリーで利用できるウェブサーバーがなければインターネットがこれほど盛り上がる事はなかったかもしれない。つまり場ができるということは新しい収益源ができるということだ。
インフラ整備事業としてのオープンイノベーション
このジレンマは道路整備に似ている。道路ができれば工業団地を作る事ができる。しかしできなければ工業団地は作れない。工業団地を作るまで、それがどれくらいの収益を確保できるかどうかは計算できない。計算できないからといって、道路を作らなければいつまで経っても収益は上がらないのである。このように公共性が高く、いいことづくめのようなオープンイノベーションや協業もうまく行かない場合もある。1998年に統合したダイムラー・クライスラーは、ドイツとアメリカの老舗自動車メーカーの合併会社だった。販売網、人材、部品などを組み合わせれば、無駄なコストを削減しつつ売上げを伸ばせるものと期待されたのだ。しかし自動車は国のプライドがかかった製品であり、アメリカ人とドイツ人の折合いは悪かった。こうして、この合併は「不幸な結婚」と揶揄されるようになる。結婚は10年保たず、2007年に協議離婚が成立する。プライドが協業を邪魔したのかもしれない。
人間には所有欲があり、他人を信頼できないという「部族意識」を持っている。ヒトとしては生きて行くには欠かせない感情だと言ってよいだろう。しかしプロダクトサイクルが短期化すると、生存本能が「ガラパゴス化」を加速する。
協力を阻むプライド
実際にはここまで話をしても90%くらいの人は「別に協業なんていつでもできる」とか「俺は顧客の事を世界でいちばんよく知っている」と考えるだろう。もしかしたら「俺以外は全部バカだ」と考えていて、協業など考えられないと思っている人も9%くらいいるかもしれない。さて、こうした状態を乗り越えて、1%くらいが「協業をどこから進めましょうか」と考えたとする。多分、最初にはじめるべきは隣の部署との協業なのではないかと思う。部署の垣根を飛び越えて、隣の部署とアイディアを交換することはできるだろうか?また、あまり仲の良くない他人とフォーラムをつくって意見交換をすることができるだろうか?これを支援するソフトウェア群(エンタープライズ2.0)はいつまでも作れる。あとはメンタリティの問題だ。
日本の会社は会社間の人材の流動化が進まないと言われる。制度やシステムの問題もあるのだろうが、結局は「自前人材しか信用できない」という気持ちがあるからだろう。これが停滞の原因となっているのだ、と頭では分かっていてもなかなか改められないものなのだ。もともとの村落共同体的なメンタリティが残っているのかもしれない。高度経済成長期の成功体験があり、意識変革が進まなかったのかもしれない。
日本は外国から隔離されているので、外からの変化が直接流入しにくかった。外からのイノベーションが社会的に作られた障壁 - つまりレギュレータ - の働きで緩和されるので、変化に弱いのだろうという仮説も成り立つ。ダイムラー・クライスラーの例を見ても分かる通り、実際には日本独自の問題というわけではなく、歴史のある企業ではときどき起こることなのだ。つまり成功体験が積み重なるほど、新しい文化を受容しにくくなるのだ。
結果My Life in MIT Saloneで解説されているように、既存の大企業をどう復活させようかというところで立ち止まってしまう人も出てくる。過去の体験が情報の流通を阻害するのならば、新しい団体をつくったり、個人として直接外とつながる方が簡単そうに思える。