社内の公式言語を英語にする、ということについて引き続き考えている。楽天がはじめたこの議論にはすこしいびつな所がある。それは英語化を果たすためには一旦日本語を捨てなければならないと彼らが考えている点だ。グローバル化が言われる少し前「トランスナショナル・マネージメント」が提唱されたことがある。この著者たちが、グローバル化が進行した後、どのように考え方を変えたのかが気になり、【新装版】個を活かす企業という本を読んだ。この表題だけを見るとなにやら左派の教員組合やゆとり教育論者が喜びそうだ。
トランスナショナルマネジメントには2つの形態の企業体が出てくる。一つは本社機構がトップダウンで戦略を実行する企業だ。そしてもう一つはローカルの企業体が発見した需要を組織全体が共有する企業体である。「個を活かす企業」では、後者の形態が引き続き研究されている。そして英語を使うか、とかグローカル(グローバルとローカルを組み合わせる)という概念は既に消えてしまっているようだ。つまり、英語ができて現地語ができる(つまりバイリンガルである)ことはもはや当たり前になってしまったからだろう。
そういう意味では、楽天にまつわる議論は何週か遅れてしまっていることになる。つまり、「複数の文化や言語を扱うことができる」ことは必須の能力になっているのに、日本人は「単一言語」が前提になっていて、かつ日本語を一旦忘れてしまわなければ英語文化を吸収することができないと考えているからだ。
実際にプロフェッショナルな人たちと議論してみると、英語を受け入れるということはアングロサクソンの合理的な文化を受け入れることだと真顔で主張するヒトがいる。たいていの人たちは複数の価値観が一つの組織で折り合うことができるとは考えていない。日本人が持っている内向きさはそれほど深刻だということだ。
アメリカ人でも日本人でもいったんこの壁を越えてしまうと(英語や現地語を習得するという壁と、多文化を許容して理解するという壁がある)多文化が受け入れられるようになる。香港、シンガポール、ヨーロッパ人のように最初からこの壁がない人たちも存在する。
このようにグローバルな市場に参加するためには「英語を話すべきか」はもはや議論の対象にすらならない。これを前提として、組織体をどう構築するかという点が研究対象になっている。「個を活かす企業」には縦糸と横糸が出てくる。縦糸は「戦略」「数値目標」「組織と統制」といった要素から構成される。横糸は「共有する文化」「才能のある個人」「それを支える情報インフラ」といったようなものがある。主に研究されるのは横糸の部分だ。
個を活かす企業は「ネットワーク型」の組織を形成している。顧客の要望があると、社内から必要な人材が集められる。彼らは連絡を取り合いながらプロジェクトを推進する。少し前までは、このような企業は存在しえなかった。そのように柔軟な組織運営を支える情報インフラなど存在しなかったからだ。
この点でも日本は遅れをとってしまっている。日本語でしか情報にアクセスできない上、情報インフラも脆弱だ。さらに中央集権的な意思決定システムは「正規」「非正規」で分断されてしまっている。
なかなか面白い本だったので、これについて何回かに分けてご紹介したいと思う。