日本人は社会的な配慮から議論を避けたりする。国際的にはこれがあらぬ誤解を生む。

アメリカやヨーロッパのファッション雑誌や広告を見ていると、やたらに上半身ハダカの男や女が出てくる。また銀座の「アバクロ」に行くと、上半身ハダカの男性がお出迎えしてくれる。こういう広告手法をまとめて「Sex sells well」と言ったりする。セックスは(モノを)よく売るというような意味だ。日本にはこういうキャンペーンは少ない。どうしてだろうと思いLinkedinで聞いてみた。

Sexは基本的な欲求の一つなので、注意を引きやすいだろうというのが大方の見解だった。男性雑誌に女性のヌードが掲載されているのであればこれでよいのだが、どうして男性服の広告に男性のハダカが載っているのかという説明はない。たしかにゲイ向けにマーケッティングしているのだ、という見解は成り立つのだが(これもある意味通説になっている)人口に占めるゲイの割合がそんなに多いとは思えない。

よくよく日本の雑誌を見てみると、ハダカの男や女はかなりの割合で掲載されている。ただ、西洋の広告とは異なっているようだ。ananは男性のヌードで売っており、スポーツ紙や週刊誌には「発情してすぐに男性を受け入れてくれる女」が見られる。扱われ方に違いがあるわけだ。

さて、この手の質問は実に下らないものだ。ただ、いろいろ考えるとちょっとした洞察が浮かんだりはするかもしれない。いろいろ考えた結果、西洋には、裸婦芸術の伝統があるからだと自分を納得させることにした。宗教的な抑圧があり、性に対する欲求を芸術として昇華させる必要があったのだろう。ということで、男女が絡み合っていても、どこか現実味がなかったりする。

もう一つの理由は、機械的なものに飽きると、自然なものに対して憧れることになるということだろう。90年代から植物や動物をモチーフにした有機的なデザインが使われるようになった。この延長に人間の体があるのではないか、と思われる。

さて、この質問を日本人にも投げてみた。ほとんど返事はなかった。これ自体は問題にならない。興味がなければレスポンスしなければよいだけだからだ。一人だけ問題だったのは「私は年老いているのでこのような質問には答えられませんが、スレッドを興味深く拝見したいと思います」という回答を寄せてくれた人だった。

一つには「セックス」というキーワードがやや過激に聞こえるからだと思われる。良識のある日本人ビジネスマンにはなかなか答えづらい。また、そんなことは考えたことがなく、考えるのも面倒くさいのだが、おつきあいとして参加しておこうという社会的な配慮もあるだろう。

つまり、日本人にとってはこうしたフレーズは謙遜に聞こえる。場の空気を読んで発言しますということだ。しかし、これが「俺たちの議論の内容を結果だけ持って行くつもりか」と解釈されたりする。意見がない人も嫌われる。参加するのであれば「発言する」ことが大切だ。これは積極的に会議を生産的なものにしようとしていると解釈される。

人によっては発言するからには、よく煉られた立派な回答をしなければと意気込んでしまうことがある。しかし煉られた回答よりも、今の回答の方が有意義だ。ある発言が別の洞察を生む場合もあるからだ。

多分、日本人が発言しないのは(英語能力というよりも)、発言するからには空気を読んで、立派な発言をすべきと考えるからだろう。しかしこれが「ずるい」とか「あの人は無能だ」と思われている可能性があるのだ。

英語会議に参加した「自称国際人」の人は参加しただけで満足して帰ってくることになる。本人は喜んでいるのだが、実際には「日本人はうちむきだ」とか「ずるい」と言われている可能性がある。ニコニコして聞いているだけで「あいつは無能だ」と考えられることもあるのだ。

英語を勉強して、社内公用語を英語にしただけで国際コミュニティに参加できるとは言えない。このような小さな違いがいくつも存在する。こうした差異を発見するためには積極的に異文化のコミュニティに参加して、間違いを重ねながら一つひとつ覚えて行く必要があるわけだ。

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