問題解決につながる「なぜ」が議論を進める

日本はモノ作りが立ちおくれているのだという。とあるフォーラムで議論になっているので覗いてみた。現場にはかなり不満が貯まっているようで「やっぱりダメなのだ」という声が寄せられる。日本人が多いのだが、外国から日本に来ている人たちも同じことを言う。落ち着き先としては「昔のような誇りを取り戻し…」「顧客のいうことをよく調査して、高級品でないものを作る」べきだということになった。よく聞かれる議論だ。そのうち「大前研一のフォーラムに登録すればすべて答えはそこにあるのだ」ということを延々と書く人が現れた。どうやら大前さんを信仰しているらしい。

ところが「それでは、実際によくする為にはどのような具体的なアクションを取ればいいのか」となるとまったくレスポンスがこなくなる。それでは「誰かのフレームワークに沿って話をしてみましょう」と話をしてもダメである。フォーラムの主が「緩くやりましょう」と書き込む。

このあたりで、この議論は問題解決のためにやっているわけではないのだと気がつくことになる。英語だともうすこしプロフェッショナルな意見が集る。そもそも名前を売るためのSNSなので「実際のソリューションを持っている」ことが重要だからだ。よく分からないのだが、日本人は「コンサルタント」系の人が多いように思える。

一応、具体的な対応策が出てこない理由はいくつか出て来た。日本人は内向きであり、クライアントの事情などの内部情報は出しにくいのではないか、というものだ。しかし、いつまでたってもなにも出てこないところを見ると「言わない」のではなく「ない」のではないかと考えるようになった。

現在急激な円高が進んでいて、モノ作りの現場は厳しそうだ。しかし、本当にそうなのだろうかと思えることもある。

今週のNewsweekは「幸せな国」ランキングが掲載されている。満足度と成長度が加味されて総合順位では第九位だ。その他には北欧諸国の名前が入っている。成長力は第四位だった。国内のニュースだけを見ているといまにも沈みそうだが、意外と明るいんだなと思ったりする。しかし、このランキングが日本の新聞に載る事はないだろうし、まして日本の新聞が学術的な国際調査をやるとはとても思えない。

モノ作りを真剣に考えている人が問題解決を図ろうとしたとき、こうした状況は深刻かもしれない。世間が悪い悪いといってることに対して「結構いいところもある」というのは勇気がいるし、一緒になって嘆いている間は新しい展開を考える必要はなくなる。当事者たちが倒産してしまっても「日本ではモノ作りは難しいからね」で終わりだ。昔に戻れといっても「どうやって」ということになる。その内、セミナーの売り込みが来る。

確かに、問題は個別なので解決策も人によって異なっているだろう。ここで必要な(かつ今すぐできる)ことはいくつかありそうだ。


  • 現状がどうなっているのかを調査する。サンプルは多い方がいい。例えば、日本とアメリカを比べるだけでは不十分だ。また主観と客観は異なっていることがあるようだ。
  • 共通の言語と文化を持つ。
  • 当事者が集って問題を解決する。コンサルティングが問題解決の当事者になれないとは限らない。成果と連動した報酬があればよいからだ。しかし、教材を売って終わりとか、セミナーに参加して終わりだと、当事者意識が醸成されないかもしれない。

例に挙げているフォーラムは英語と日本語で話が進む事がある。英語中心の話題は2つの特徴がある。


  • 宣伝は直裁的。日本人は「大前研一」の宣伝をしていたが、英語話者は「自分」の宣伝をする。
  • 論理は実務的。日本人の議論の特徴は「やっぱり、」が付く。「やっぱり、日本のモノ作りは立ちおくれている」といった具合だ。だから「なぜそうなのか」質問しても、答えは返ってこない。

みんな日本語のせいにしているが、日本の社会が当事者能力と問題解決能力を失っているだけのように思える。

さて、つまるところこの議論に何が足りないのかと考えたところ「問題解決につながる「どうして」「なぜ」」がないのだと思った。それさえあれば、とりあえずは前進できるのではないかと思える。

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