暑さで参ってしまったのか、とても暴論としか思えない理論をおもいついた。失業率と通貨供給量には相関関係があるのではないかというものだ。アメリカとユーロ圏は通貨を供給しつづけている。(というより、どういうわけか、お札をばんばん刷って市場に供給しているといった方が早いかもしれない)これが失業率を上げているのではないかと思ったのだ。しかし、どうもこれは違うなあと思った。
ちなみに、昨日までの話と違うなあとも思ったのだが、こちらはちょっと関係している。民主党の例をあげて「自分がやりたいことをやっていないと、いずれは考えがまとめられなくなるだろう」ということを説明した。統合する原理が「私はなにをやりたいか」だからだ。しかし一方で「私は何をやりたいか」ということは、長期的ビジョンと社会の要請によって撹乱される可能性がある。これが昨日までの話だ。ということで、いよいよ「何をやりたいか」を考えなければならない。
通貨は長期的な計画を立てるてる上の「メディア」になる。家を建てるためには貯金をするかローンを組まなければならない。また、このビジョンの源泉になるのは「仕事」だ。
ところが、お金はかなり混乱している。お金の裏打ちになっているのは実物ではない。信用という社会の約束事だ。ここのところ、経済を活性化するために、市場に通貨を供給してきたのだが、この政策はある時点で破綻するはずである。実物経済は無限に膨張することはあり得ないのだが、通貨供給量は無限に膨張させることができる。ハイパーインフレが起きることになっているのだが「なぜか」そういったことは起きていない。(このことについては、ちゃんとした研究がなされてもよさそうだが、多分実際に研究されるのは実際にハイパーインフレが起きた後かもしれない)
暑い中でさらにぼーっと考えているうちに、実際に失業率と関係があるのは、労働生産性とエネルギー供給量だと思い至った。例えば農業しかない世界を考えてみる。農業の生産性に関係するのは、生産技術と肥料の投入量だ。肥料が潤沢に供給されている環境下では、農作物供給に関わる人の数は低減し、それ以外の人たちは「失業者」になってしまう。実際には貿易があり、さらに安い作物が域外から供給される。こうならないのは実際の経済が食料供給を越えたところまで膨らんでいるからだ。
同じことが生産業で起きている。生産性を高める圧力になっているのは価格競争力だ。すると、ますます生産業に関わる人の数は低減するだろう。ここで有効なのは公共工事だった。しかし公共工事には弱点がある。作った建物には維持コストがかかる。故に、建物や道路を作るよりは、穴を掘って埋めた方がいい。また税金投入にも問題がある。政府から民間事業者に転移した資金は税金として戻ってくるはずなのだが、実際には政府の支出はふくらみ、財政が不均衡になるようだ。
どっちみち、製造業や農業に必要な労働力は少なくなるのだから、ITや金融に力をいれるべきだとされた。ITも需要のないところにつくるわけにはいかない。(楽しいけど、やがて飽きる)
しかし、金融は実情をこえて膨らんでいる「資産」をさらに運用するシゴトだ。こちらは無限に膨らませることができる。つまり、最終的にはパチンコやオンラインゲームとおなじようなことがシゴトになるわけだ。政府は通貨を供給し、それを足したり引いたりすることが職業になっている。実際にこうした作業が「職業」と認識されていて、これに成功するとおいしいものが食べられるわけだ。これをおかしいと感じるのは、社会がまちがっているのだろうか、それとも私たちの職業感がおかしいのか。
「ただ、穴を掘ったり」「パチンコのようにお金を膨らませる」ことがシゴトになり得るわけだから、通貨のやり取りが発生すれば、別に寝ていてもよいということになる。そもそも職業とは生産性とは関係がないからだ。というより生産性と実需を越えて行かないと、労働生産性が上がった世界ではすべての人に職業を提供する事はできなくなるだろう。
実際には通貨が通過するためには、需要が必要だ。需要とは「誰かが何かを欲しい」と思うことだ。需要を考える出発点として「他人が何を求めているか」をリサーチするのがマーケティングの基本だったのだが、その内それだけでは間に合わなくなるだろう。つまり「私は何を欲しているのか」を考えてなければならなくなるわけだ。もしくは生産性向上に関わっていない人にも収入を与える(こうした考え方は実際に「ベーシックインカム」として存在する。)
ということで、やっと本来のテーマに戻って来た。今日は暴論かつ力技だったね。