あるファッション・ジャーナリスト氏のブログに面白い記事が出ている。経営者は利益率を高めるためにPB(プライベートブランド)商品を増やす。結果的に「ちょっと高級な無印」のような無個性な品揃えになり、売り場の雰囲気が崩れるだろうから、ブランドイメージを毀損するだろうとのことだ。この解決として「高級な他社仕入れ製品」を増やすべきだと主張している。ところが、この高級な「他社仕入れ商品」はある程度の無駄とされている。つまり、仕入れても売れないかもしれないな、という意味なのであろう。
今回のテーマは「売れなくなったものを売る」あるいは「最初から売れそうにないものを売る」ということにしようと思う。今回、この冒頭例を取り上げたのは、価格・品質に焦点を充てたとき、特定の条件下で何が起こるかを端的に現していると思ったからである。デフレにはいろいろな解釈と定義がある。経済学でいうデフレの定義とマーケティングのデフレの定義はいささか異なっている。経済学のデフレは「通貨供給量」などの環境要因で決まるのだが、ミクロレベルの「モノが売れない」は別の要因が絡んでくる。
そんなマーケティングなら、やめてしまえ!?マーケターが忘れたいちばん大切なことで、コカコーラの元CMOでセルジオ・ジーマンは、基準が分からなくなると、消費者は比較可能な基準である価格を元に判断するようになるだろうと言っている。つまり、マーケティングレベルのデフレとは、市場にモノが氾濫して「何を選んでよいか分からなくなった」状態なのだといえる。
もちろん企業にとって「価格」と「製品(すなわち品質)」は、コミュニケーションのための重要な道具立てなのだが、冒頭の流通現場ではこれが崩れているということが分かる。それどころか、ここで非難される経営者たちは「どうせ同じようなものを安い価格で買いたいのだ」と考えているのではないかとすら思える。これは、マーケティング・ニヒリズムといってもよい状況だ。
これを解決するには、ある程度の投資が必要である。投資は2方向に向かう。一つはイノベーションを通じて新しい市場や製品を開拓しようという方向だ。しかし、ここではこの方向性を諦めてみる。なぜならばファッションにおいて、ヒートテックのようなイノベーティブな製品はそうそう出てこないからである。また、ジーンズやスーツの形が革新的に変わることもないだろう。
もうひとつの方向は、ある製品を特定の人たちと結びつけることである。マーケティング事例として必ず習う「ハーレーダビッドソン」が有名だ。北米市場でホンダに押されたハーレーダビッドソンは、コミュニティと結びつくことで「プレミアムカテゴリー」に生まれ変わる。ということで、ハーレーダッビッドソンはプレミアムカテゴリー化の事例として取り上げられることが多い。
しかしながら、これは「コミュニティマーケティング」の事例として取り上げることも可能だ。つまりコモディティ化した市場もこうした戦略をとることができるということだ。スーザン・フォルニエ考える「ブランド・コミュニティ」はこうしたコミュニティを積極的に作り出して行こうという戦略である。セス・ゴーディンはトライブ(部族)と呼んでいる。
トライブやブランド・コミュニティに細かな違いはあるものの(※こういう記事を見つけた)「個人のニーズ」というところから「社会的なニーズ」に関心が移っているというのは興味深い所である。今回は、マーケティングについて考えつつ「ブランド・コミュニティをどのようにつくればいいか」というところまで研究してみたい。
イントロダクションの最後にどうして日本でこうしたマーケティングが主流にならなかったのかを考えてみたい。一つには「中流」という大きなセグメントが存在したからだろうと思われる。紳士服のコナカ、アオヤマ、アオキに出かける消費者に顕著な違いがあるとは思えない。例えばアオキがある消費者を捨てて、特定のコミュニティと結びつくことは考えにくい。これは民主党が言う「浮動票」とか「国民」という概念に似ている。中流が崩れることで、誰にもコミュニケーションが取れなくなっているということだと思うのだが、なかなか昔のやり方が捨てられないのである。紳士服の場合はテレビコマーシャルを不特定多数に流し、集客を図るという手法だ。これが成り立っている業界は「コミュニティマーケティング」のような面倒くさいことをはじめる必要はない。
もう一つは『そんなマーケティングなら、やめてしまえ!?マーケターが忘れたいちばん大切なこと』に出てくる。ジーンズが作りたいと思ったら極東の産地で適当なジーンズメーカーを見つけてきて売ればいいと書いてある。これは国際分業の結果、差別化を図る要素を海外に依存しつつ、日本の産業が成立してきたということである。この状況が続いているのであれば(つまり岡山県が未だに高級ジーンズ産地として繁栄している)特定のコミュニティを作る必要はないかもしれないのである。
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