知らなかったのだが、12月の最初の週にmixiでちょっとした仕様変更があったようだ。mixiが焦りすぎたという評価が出ている。
Creative Mind on Facebook

あまり情報がない状況について書く。ポジションへのシンパシーもなく、おちつくべきところに着地させたい文章。ということは、おなじみの起承転結を使って手堅く書くことになるのだろう。なんとなく考察したような気分になるのではないかと予想される。ということで、起承転結という形式をバカにしていたのだが、書き終わってみると「校正」に役立つことがわかる。いろいろなエピソードを盛り込みたくなるのだが、その中には筋とそぐわないものがある。例えばまとめようとしているのに、別のオープンクエスチョンを混ぜたりする。これを排除するのに「フォーム」が役に立つのだ。

昼間のスターバックスは、主婦のたまり場になることがある。彼女たちはとりとめのない話をしているのだが、個人情報が満載だ。しかも声が大きい。彼女の1人は42歳で、もう1人のご主人は体を使った仕事をしているらしい。どちらとも専業主婦。学校に通おうとしているらしいのだが、生活にはあまり困っていない様子。そして、別の「知り合い」について「あまり仲良くしたくない」というようなことを言っている。これをその「知り合い」(自分のことを友達と思っているかもしれない)が聞いたら、どう思うかなと想像するのだが、そんな心配はない。喫茶店の会話を知り合いが耳にすることはないだろうからだ。こうした会話は喫茶店だけで行われるのではない。男性は居酒屋で上司や気に入らない同僚の悪口をいうのだろうし、そうそう、オンライン上にはmixiがある。ここの参加者は仲間内でしか通用しないハンドルネームを持っていて、気に入った参加者だけにそっと自分のコンタクト情報を伝える。マーケターたちは彼女たちの時には口さがのない本音を聞きたいと思うだろうが、こうした情報にはアクセスできないことが多い。mixiは内輪向きのコミュニケーションツールだ。

mixiは、密やかだが日本各地で行われているであろう、ひそひそとしたコミュニケーションに最適化している。mixiがこういう文化を作ったというよりは、ユーザーを観察した結果、日本一のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を構築したということだろう。最近、このmixiにちょっとした衝撃が走った。e-mailアドレスから友達を探し出せる機能を11/30にリリースしたらしい。同じような機能はFacebookもTwitterも採用している。故に機能自体が問題になることはなさそうに思える。ところがなぜかmixiでは大騒ぎになった。名簿業者が事前に収拾したアドレスを使って大量に友達申請をしたようだ。結果、インターネット上では「mixiやばい」の書き込みが広がった。mixiから抜けるようにと指示するものもある。どうやら検索対象から外すこともできるようなのだが、どこをどう操作すればいいのか分からなかった。ということで、友達申請の機能は12/2に封鎖された「ようだ」。ようだというのは、僕はこの騒ぎを12/6に知ったからだ。運営者からのお知らせには仕様を元にもどしたことと、社長のお詫びが短く掲載されているのみだ。今はTwitterで経営者が直接ユーザーに語りかける時代だ。だから、この短くて何も伝わってこないメッセージからmixiの置かれた状況のいったんが見えるようである。そして僕が機能変更を知らなかったのは、FacebookとTwitterだけで事が足りるので、ここ何日もmixiにアクセスしていなかったからだ。Facebookでは普通に利用される機能が、mixiでは成功しなかったのだろうかということは考察に値する。騒ぎが起こったのは、ユーザーが「このコミュニティは半匿名だから大丈夫だろう」と思っているからだ。半匿名だから大丈夫と思っているのはユーザーだけではない。「悪い事を考えているヤツら」も「ストーキングしかねない不心得者」も匿名だから大丈夫だと思っている。ところが実際にはそうではなかった。SNSはソーシャルグラフの多様さが面白さの源泉になっている。故にソーシャルグラフが内向きに限定されると面白さはなくなる。そのあいだにFacebookのような多様なソーシャルグラフを持ったサービスが認知されると、そちらに人が流れてしまうのだろう。これが予想されるが故にmixiはソーシャルグラフの解放を行ったに違いない。しかし、これはスターバックスで内輪の会話を(しかも大声で)している主婦たちのテーブルにマイクを入れるようなものだ。

ところで、このスターバックスで個人情報を高らかにおしゃべりする主婦のような人たちが今回の「事件」をきっかけに、自立心を持って、ITリテラシーを向上させると考えられるだろうか。mixiユーザーの多くは、多分今回の仕様変更が自分のプライバシーを危険に晒したとは思っていないに違いない。起こった出来事とその影響について正しく認識できないだろうし、知らないで終った人も多いことだろう。知らないマイミクがたくさん登録されてはじめて「何かおかしい」ということに気がつくのではないか。いったん身に付いた人の意識は、大きなきっかけがなければ変わりにくい。例えば、テレビカメラが入っているにも関わらず支援者の集会で「不適当なコメント」を繰り返す政治家はあとを断たない。大臣になり、注目を集めているのに、いつものように支持者に笑いを取ってしまう(悪い事に大抵それは誰かの悪口だったりする)ような場面だ。彼らは自分の立場が変わった(すなわち「場が変わってしまった」)ことに気がつかない。日本人は場所によって発言を使い分けている。「善し悪し」は「場」に影響されるのだ。そして、表面的にはおとなしくても、裏では(ヤバイこと)を含めて、かなりいろいろなことを考えている。これが実名オンラインの世界と違うところだ。実名オンラインの世界には「明確な場」がなく、故に使い手は内部に比較的一貫した自己規範を作らなければならなくなる。欧米では「神様に恥ずかしくない行為」とか「新聞の一面に出ても恥ずかしくない行動指針」などと表現されたりする。日本人がこうした一貫した自己規範を自分のうちに持つということはなさそうだ。場によって適切な発言を使い分ける人たちは、場に働きかけて自己に合うように改造したりはしない。もし不快であれば、黙って出て行ってしまうだろう。そして出て行く先がなければ、文句をいいながら使い続けるだろう。故に、mixi側はこうしたユーザーを保護しながら、成長してゆく道を模索しなければならないに違いない。

この1年のあいだ、SNSには大きな動きがいくつかあった。一つはGreeをはじめ各種ソーシャル・ゲームサイトが成功したこと。こちらは匿名性で射倖心(まぐれあたりという意味だそうだ)をあおるような仕組みになっている。多分収益をあげるとしたら狙い目はこのあたりだろう。もう一つは実名のFacebookが日本市場に入り始めていること。Facebook自体はまだmixiを凌駕するには至っていない。Facebokが入って来たとき「日本のネットは匿名社会だから成功しないだろう」と言われていた。意外だったのはTwitterが意外と実名化している事実だ。芸能人、政治家、起業家などが実名で登録しているのでこれに倣った人たちも多いだろう。つまり、実名でネットを使う文化は徐々に浸透しつつあると考えてよさそうである。実名文化が浸透しているからといって、匿名でネットを使っていた人が実名化するとは思えない。多くの人たちはこれまでと同じように実名と匿名を使い分けるだろうし、この後にはさらに匿名化して場による意見の使い分けに長けた小中高生が控えている。携帯文化では名前や用語のみならず、文字すら判別しにくくなっている。匿名化を通りこして、コミュニケーションの暗号化が進行しているわけだ。こうした混じり合いが日本のコミュニケーション事情をややこしくしているには違いないが、情報を発信したり場所を提供する側はうまくこうした事情に付き合って行かざるを得ないだろう。

« 勃興する実名社会 | メイン | 匿名の暴力 »

記事一覧 :: ITコミュニケーションのその他の記事

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://keynotes.hidezumi.com/MT/mt-tb.cgi/4209



Sponsor

Hosting provided by "Mercury Project Office Ltd."
Find all you need. Web Design, System, Consulting and More!