コミュニティの成立、リーダーシップとフォロワー、コミュニティとしての国、知識コミュニティとしての学派など。
公私は対立する概念ではない。それが対立していると思うのは帰属する集団との関わりが薄くなって来ているからだといえる。公と共感の崩壊は同じ根っこを持っているようだ。
人類は150人が海を渡ったことで世界中に拡張したのではないかという説があるそうだ。旅について考えてみたい。
人殺しはいけないことだ、と言う人がいるが、それは人類共通の認識ではないようだ。しかし調停の手段としての人殺しを抑制することには大きな利得がある。
好き・嫌いを越えて議論を行なうためにはたぶん「何か」が必要だ。それは、日本の週刊誌には見当たらないが、Newsweekにはある、何かだ。
ソーシャルメディアを使ったセルフ・プロモーションの重要性について考える。
日本の帰属集団は、血縁から地縁、地縁から抽象化してきた。擬似的な会社から切り離された現代の人たちはこの後どんな群れを作るのだろうか。
コモンズは誰に対しても開かれた、社会の発展に貢献する場所のことである。
今年のノーベル経済学賞を見ると、経済学が凋落しているように見えるが、実際は新しい要素を取り込もうとしているのかもしれない。
成長力を保全するためには、「発想」+「設計」+「製造」といった一連の過程を生態系として捉え、維持することが大切なようだ。
内田樹さんと養老孟司さんの対談を読んだ。百歩譲って日本は辺境なのかもしれないが、それは「中央なき辺境」だろう。
ソーシャルメディアの理解に欠かせない社会性について勉強する。
確かに一人ひとりがしっかりとした信念を持つことは大切だ。しかしこれが集団主義的なコンテクストで受け取られると、みんなで一斉に個人主義化しましょうと受け取られることになる。しかしこれは集団主義的な考え方だ。
いろいろなヒトが日本には成長戦略が必要だという。しかし場の創出にはコストが伴う。ネットの論評を読むと「こうしたコストを支払う」ということが不思議がられているように見える。今日は場を作るということについて考えたい。
議論から社会改革を進めるためには、適度の共感しつつ話題を広げるようなフォロワーが必要だ。このフォローイングの技術が欠けていると、多様な意見は議論に反映されない。プレゼンテーションが指摘するようにフォロワーの存在は再評価されるべきだろう。
日々の闘争を抜け出すためには、当事者の視点を抜け出す必要がある。
映画を見た後で、スティグリッツを斜め読みしつつ、国の役割についてちょろっと考える。
日本は知らず知らずのうちにゴミ屋敷になっているのではないだろうか。それは貯め込んで、他人と共有しないという姿勢が生み出した、最悪の環境である。
ゴミ屋敷から抜け出すために必要なのはゴミを捨てる事と、過度の所有欲求から解き放たれることである。
LOSTのファイナルシーズンが始まる。これを見ると政治やリーダーシップを考えることができる。
リーダーの役割は多様だ。変化に対応する人たち、組織を維持する人たち、そして破綻してしまった組織がなんとなく生きているように見せる人たちがいる。
リーダーシップについて、教科書的なことを調べる前に、日本の立ち位置を見ておきたい。例によってホフステードの指標を使う。指導者には、リーダー、マネージャー、監督者と複数の役割が求められる。
リーダーはビジョンを設定し、フォロワーが自発的にそのビジョンに向けて行動できるように指導する事ができる人のこと。
リーダーとはビジョンとコミットメントであるといったのだが、もっと単純な定義がある。誰もついてくる人がいなければその人はリーダーではないのである。しかしついてくるといっても、その中身は一様ではない。
一方でシステムが死につつあるとき、新しい価値観はどのように立ち現れるのだろうか。
メイプルソープの伝記を読んで、新しい価値観がどのように出現するかを考えてみる。
なぜインターネットは「不完全」なのか - 言論空間ができあがるまで
我々はどうして違和感を感じるのか。壊された集団主義が基底にある。
職業集団がどのように自己を規定し、その規定を更新して行くとよいかについて考える。
失うものに注目するとどんどん悪い循環に取り込まれてしまう。
世界が瞬時につながる。何やら良さそうな未来だが、実際にはとまどいも大きくなるはずだ。
週末にDIESEL、Abercrombie & FItch、GAPを覗いた。それぞれ違うお客が集っている。
本当に崩壊しつつあるのは制度ではなく、気持ちではないでしょうかね。
近づきがたいものに、近づいてみたいという抗いがたい欲求
液体化する共同体と議論 - 水の上を歩くような技術が必要なのではないか。
共感する相手と見るか、対象物だと感じるかによって「問い」そのものが異なってくる。
いわば消費税増税の人質に取られた格好の「子どもの福祉」について考える。
1972年のレポートを読んで考える。成長を自発的に諦めた社会の行く末。
ニュースと現実のギャップ。オタクはどこにいったのか。どうしてみんなこうもこぎれいなのか。などなど、疑問がいっぱいだ。
学ばない「高齢者向けニュース」が醸し出す、なんとなく残念な空気。
意外と「正確さ」を犠牲した上で成り立っているものかも…
不安な時代が作る、ソーシャルネットワーキングサービスの空気について考える。
最近なんでも「ノマド論争」というものがあるらしいので、乗っかって記事を書いてみる。用語を正確に理解しているわけではないのだが、ざっと読んだところでは、ダニエル・ピンクの「フリーエージェント社会」に似た概念ではないかと思う。
電気は私たちの生活と強く結びついている。しかし、そもそも社会を選択して作ったという認識がないので、これを意識することすら難しい。
他人の選択を正しいと言ってくれる人はほとんどいない。だからそんなことを期待してはいけない。
愛国心という内面から出てくるはずのものを規則の改変でコントロールすることができるか。
今回は、インセンティブとモチベーションを軸にいろいろな考察をしてきた。インセンティブベースの社会からはオーナーシップの感覚が失われるというのが主題だ。これを朝飯を巡る議論に置き換えてみたい。